家族写真
こちらの里で我が家がお世話になるようになって十年の歳月が流れました。
そして昨日、我が家の隣(と言っても広大な空き地を挟んだ隣ですが)のお宅の家族写真を撮らせていただきました。
いつも散歩の際に家の前を通り、さんた(うちの犬です)と一緒に「おはようございます」「暑いですね」などなど色々な言葉を交わし、昨年亡くなったお婆さんの遺影の写真も撮らせていただき、お葬式の最中に皆さんで写真も撮らせていただき、何となく少しずつご近所との距離が近くなって来て、今回初めてご近所で家族写真を撮らせていただきました。
とても明るいご家族で写真を撮る事をとても楽しんでもらえて、いつもの明るい笑顔をたくさん撮らせてもらいました。
僕としては記録として、毎年でも撮らせていただけたらと思うのですが、まだまだ、それは先の夢ともなるでしょうか?
先の夢と言えば、この写真を撮ってデータをお渡しする際に写真を見ながら、お話をしている時に出てきた言葉、思いがありました。
「この里の家の人達を全員家族写真を撮れたら、それだけで良い写真展ができますね。」
面白いと思うのですよね。僕が住んでいる場所は井之内という地名が着いているのですが、井之内に住まわれている人達全員の家族写真なんてあったら、それだけで、この地域がどんな場所かを説明できてしまうような、そんな気がしました。
果たして、地域ごとに少しずつその表情は違ったりもするのでしょうか?
まさに夢のような話ではあります。
地元に写真屋さんがおります。
ぜひ、家族写真を地元の写真屋さんに頼んでみてはいかがかな?と思ったりします。
もちろん気に入った写真屋さんがおりましたら、その人に撮ってもらうのも良いと思います。
写真は記録ではありますが、記録から聞こえてくる声があったりするのも写真であったりします。
そして出来たら毎年の移り変わりを残せたら、一番良いなと思います。
僕が写真を撮りだした頃にアルバイト先の上司からこのような話をしてもらいました。
「以前に広告のポスターでね、あるお爺さんが生まれた時から毎年撮っていた肖像写真70数枚を一枚のポスターの中に並べたのがあってね。それは凄かったよ。何も言えなくなるくらいの力があるんだよ。」
人の一生が一枚のポスターに描かれているという事のように感じます。
そこに写真の記録としての凄さがあるように感じます。
そんな凄いものを作ろうというのでは無いのですが、でも、記録を残していくという事を少しやってみると面白いを少し通り越して、何やら哲学的に語ってくれさえするような、ふと立ち止まり考える時を与えてくれるような、他愛も無い時間だけれど、意外と大切な、そんな時間を作るきっかけを与えてくれるように思ったりします。
※ディスカバリーの家族写真はこちらでもご紹介しております。