九十九里 津波 三一一


九十九里浜311

恐ろしい日だった。忘れる事の無い日。
絶望の向こうに
どうしても見たい希望が欲しくてもがいていた。
九十九里浜311

見慣れた道まで海が来ていた。
九十九里浜311

冷たく透明の夜を超えると
輝くような朝が待っていた。
九十九里浜311

恐ろしかった海は美しく輝いていた。

九十九里浜311

覚悟をした後の安渡の笑顔は幸せを現していた。
九十九里浜311

大人達が悲嘆にくれる中、
子供達は大きな水たまりに
迷い込んだ魚を追って遊んでいた。
子供達の元気は
幸せと平和の測りになると感じた。
九十九里浜311

海へ行くと
いつもはゴミだらけの砂浜から
ゴミが無くなっていた。
美しい砂浜が続いたのは二週間程度だった。
汚れているのは海なのだと思い知った。
九十九里浜311

海が置いていく品々を見ていると
自然の前の無力さを痛感した。

九十九里浜311

陸に上がった船は
長閑に一休みしているようだった。
九十九里浜311

海の近くに住むお爺さんに
津波の後は海が恐いかと尋ねた。
今日の海は良い凪だと答えが返ってきた。




2011年3月11日は日本という名前の列島に住む人々にとっては忘れられない日となりました。
僕の住んでいる房総半島の外房地域にも非難勧告が出ました。
電気によって生活の多くの情報を得ている私達は地震発生直後の停電によって今何が起こっているのか?を知る術を失い
震源、その後の被害などを想像する事もできずに居ました。

偶然に繋がった携帯電話から友人によってもたらされた情報が「大津波が襲ってくる」でした。
自動車に付いているテレビをつけると、そこには津波に呑まれて行く東北の街が映っていました。
近所の人達はまだ何も知らずに居ました。
僕はすぐに逃げる用意を家族に伝え、近所の人に「津波が襲ってくるので逃げます。」と伝え車を出す準備をしました。
近所の方々は何を言っているのだ?という風でした。
きっと市に勤める人間などから何かあったら知らせが来るだろうと思っているのでは無かったかと推測します。

その後の避難は3月だというのに気温の低い日で、とても寒く、そして何よりも全てを失ってしまったら、どのように生きて行けば良いのか?という絶望感でした。
人が生きるという事は実は様々な「モノ」を必要としている現代なのだと実感させられるのです。
「生きていれば何となる」それはそうなのかも知れませんが、本来はそうであっても現代の社会の現実からはかけ離れた言葉なのだとも痛感させられました。

ただ、幸いにも僕の住む地域の津波は2m程度の高さのもので、壊滅的な被害は免れました。
後に今回の津波のメカニズムを現したアニメーションがインターネット上の動画サイトにあり、それを見ていると大きな津波は一度犬吠埼にぶつかったのです。
犬吠埼を巻くように津波は外房地域に到達したために犬吠埼から遠くなればなるほど波の高さ勢いは小さくなったようです。










写真

九十九里浜を中心に房総半島の海、里山などの写真。 
旅先の写真
我が家の311の時の写真など。
写真販売

九十九里浜の
夕日、夕焼け、海、鳥、月などの写真を販売中。 

※お問い合わせは不在が多いため「メール」「FAX」でお願いいたします。

ディスカバリー 森 時尚
(パンフレット撮影、イベント撮影、建築写真、結婚式写真、家族写真、七五三写真、お宮参り、成人式前撮りなどの出張撮影)
289-1304 千葉県山武市井之内2959-12 TEL/FAX0475-84-3235 toki_mori@photoisdiscovery.com
©Discovery Tokihisa Mori All Rights Reserved.