縄文の名残から数百年前の歴史、21世紀の日本、旅で出会う時間旅行は考えさせるものがあるなと。
ここに来て、久しぶりに自分で行ってみたいと思う場所ができて、ようやく足を伸ばす事ができたりして、以前は当て所も無くただ知らない土地を歩くのが好きだった事を考えると
何やらオヤジになったのかと思ったり、というのは以前、実父に連れられて旅行をした時は職業が教員という事もあったのか、まるで修学旅行のように下調べができていて
そこに着いて行く自分は当たり前のように予定の中に存在していたのだけれど、そういった下調べ的旅がその時代の人達の特徴でもあるかのように世代を感じていて
それはきっと勝手な思い込みなのだと今では思うのだけれど、でも今でも、そんな下調べ的旅はオヤジを連想させてしまうのです。
なのに自分がそれと同じようにある場所に行きたいと下調べをしていたりして、でも実はそれが、ある場合はとても有効な手段でもあるのだと、最近になって初めて気が付いたわけで。
できるなら長い時間下調べをした後に長い時間の旅をしたいと思う今日この頃で、そんな旅をした後はまた長い時間その旅と調べた事の自分的検証などもしたいと・・。