残しておきたい景色があると思って撮りだした。
ある時から、この土地の記録を自分なりに残して行きたいと思うようになっていた。フィルムは自分の写真の原点でもある白黒に変えて、写真を撮ったら自家現像でやろうと。
そして数回撮った頃に東日本大震災が起きた。
九十九里平野は北部に大きな被害を受けたが、ほとんどの地域では東北ほどの被害を受ける事は無く、我が家も無事だった。
ただ、東日本大震災は地震と津波だけでは無く、放射能という人災の被害ももたらすという、まさに現代社会の災害となった。
「国」という単位がどのようにこの人災に対して動くのかは東日本に住む自分にとっては注目すべきところだった。
「国」の対応はまるでいつぞや見て来たような公害問題のように、ひた隠しと無かったかのような態度に終始し、切り捨てるという作業がされているように見えた。
その時、311以前から写真に撮って残しておかなければと思った事がより一層大きな気持になったように感じる。
残しておきたいものは、現代の人の営みの中で消えて行くであろう、いろいろな意味での時間を残して行きたいと思ったのだ。