写真 房総半島第五巻

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薮の中に起き忘れられた石像

歩き出したら視線を感じた。

里の中の細い道

行ってみたいという気持と大人の理性が戦った。行ってみたい気持の想像は先の見えないわくわく感。大人の理性の想像は蔭から恐いおじさんが出てきて
「何の用だ」と言う感じ。

空と木と家

木がある風景。
木の間から見える空

途方に暮れた時。
竹垣のある道

心地よい道。
里山の道

このくらいで良いでしょ。

森の道

森と遊ぶ。

波に浸かった道

津波で埋まってしまった道。この向こうに海がある。やれやれと思うと同時に悪い気がしなかった。
歩けないなら隣を歩こう・・・
そうしたらまた新たに道ができる。

桜並木の通学路

通学路。
こんな記憶が残って欲しいと思うのは
思う方の勝手である。

小川のほとりの桜

手に届く景色。
桜と鳥居

桜道
森を抜ける細い道

結局こういう方が好きだ。
垣根と大きな木

出てくる気か?

里の中の道を自転車で抜ける老人

長閑な日

田んぼの中の川の畔に佇む人

思い悩む景色。

森の中の道が元に戻る風景

あの時の森が蘇る。

里山の分かれ道

歩きましょう。

人家の大木

荒れた道を登ると立派な木が立っていた。
寂しいというのは人が居ないという事なのか。

お地蔵様

お地蔵さんが歩いている。

トンボが枝に止まる

世界が生きている。

ネギ畑のお爺さんとお婆さん

故郷に帰ろう。





残しておきたい景色があると思って撮りだした。

ある時から、この土地の記録を自分なりに残して行きたいと思うようになっていた。フィルムは自分の写真の原点でもある白黒に変えて、写真を撮ったら自家現像でやろうと。
そして数回撮った頃に東日本大震災が起きた。
九十九里平野は北部に大きな被害を受けたが、ほとんどの地域では東北ほどの被害を受ける事は無く、我が家も無事だった。

ただ、東日本大震災は地震と津波だけでは無く、放射能という人災の被害ももたらすという、まさに現代社会の災害となった。
「国」という単位がどのようにこの人災に対して動くのかは東日本に住む自分にとっては注目すべきところだった。
「国」の対応はまるでいつぞや見て来たような公害問題のように、ひた隠しと無かったかのような態度に終始し、切り捨てるという作業がされているように見えた。
その時、311以前から写真に撮って残しておかなければと思った事がより一層大きな気持になったように感じる。

残しておきたいものは、現代の人の営みの中で消えて行くであろう、いろいろな意味での時間を残して行きたいと思ったのだ。















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