海、空、里山・・まだまだ何も見えていないのだろうな・・。
昔から地図だけを頼りに歩き回るのが好きだった、地形と方位を見ていると人が居そうな場所というのが見えてくる。逆に人の居なさそうな日の当たらなそうな場所も見えてくる。
そうして里山をただ地図だけを頼りに歩き写真を撮り続けていると、そこには長い人の営みが見えてくる。
地図では見えてこない人々の生活の跡が匂うように存在する。
ある城跡に向かえば、その裏には新興住宅地が存在し、ある由緒があると言われる神社に行けば、その裏には貯水池が出来ている。
人々に切り崩された自然は、その歴史に翻弄された姿だったりするのだろうなと思ったりした。
遠い過去を振り返るとは俯瞰したモノの見方でもあると同時に、当時の人達と今の自分達は思考も感情も変わらない人間なのだと思う所から始まると思う。
そして、人の一生の時間はあまりに短く、歴史は人の一生の何百倍何千倍・・・の長さを持っている。壮大なトリックのようにすら感じた。
悲惨な出来事があった年だったが、それでも地球はそれまでと変わらず回り続け、時間は淡々と流れ続けている。
だから仕方が無いとは思えないが。